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Romeoの雑記集

Romeoと申します。主に社会とかメディアとかメディアコンテンツについて思ったことをつらつら書いています。

高市大臣の発言からみる、メディアの「政治的公平性」

はじめに

 高市早苗総務相の政治的公平性を欠く報道を繰り返した場合は、放送法に基づき電波停止を命じる可能性もあると発言したことで波紋が広がっている。

高市総務相発言:「電波停止」 波紋広げる理由とは - 毎日新聞 (2016年2月17日閲覧)

今回は発言内容にもあった「政治的公平性」という言葉について考えてみたい。

放送法について

 高市総務相が言及した内容は、放送法第4条と電波法第76条が該当する。
まず、放送法第4条は、

1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
2 政治的に公平であること。
3 報道は事実を曲げないですること。
4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。                 
(放送法、2016年2月17日閲覧)

 次に電波法第76条では、

総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる」となっている。(電波法、2016年2月17日閲覧)

 簡単にいえば、放送法で決められていることを守らず、改善の要請や勧告、命令などを無視し続けていると電波を止めますよ、ということである。今回の発言では放送法第4条第2項の「政治的に公平であること」が取り上げられている。おそらく、先の安保関連法案に関して一部報道機関の報道内容に注文をつけたいという思惑だと思われる。

放送法の問題

 放送法は放送局を事実上「縛る」法律であり、憲法でも保証されている「表現の自由」を守る上でも運用は慎重になるべきだが、各国と比較して日本は法律による放送の「縛り」は緩やかである*1。また、日本は諸外国とは違い、違反行為に対し、課徴金や訂正放送の義務など”罰則”などがない点も「緩やか」といわれる所以である。ただし、村上は諸外国が放送に関する監督や規制を行う機関が政府から距離をとった行政委員会などが所管するのに対し、日本は行政官庁が所管している違いを挙げている(2015、p84)。

 日本における放送法の運用は行政官庁によって行なわれているため、場合によっては強力に作用しうる可能性がある。そのため放送局が今回の発言にあるようなサンクション(社会的な制裁)を恐れて自主規制に走る可能性がある。一定の効果があるのは確かだが、前述の村上は非公式の影響力の存在には留意をすべきと述べている(2015、p116)。実際「公式」な規制である行政指導とサンクションが背景にある「非公式」な規制がセットになっている状況であり、「非公式」規制の不透明性には懸念がある。

まとめ

 これまでは放送法とその問題について考えたが、発言内容の「政治的公平性」の話に戻りたい。そもそも論として「政治的公平性」を完全に実行することができるのか?という問題である。話の筋からはそれてしまうが、メディア法研究者の白田秀彰は「法の完全実行」が「法の過剰」をもたらす可能性について懸念を示している*2。白田の言葉を借りれば、軽微な犯罪(e.g:立ち小便や信号無視など)を「逐一処罰していれば、相当息苦しい状況になる」ということである。この議論では現実問題として法の完全実行は不可能であるということが前提になっている。つまり放送法の「政治的公平性」は法に定められてはいるが、それを完全実行することはできないのではないか、と僕は思う。ただし、「できないからやりません」ということではない。政治的に中立・公平であることに少しでも近づく努力は必要であり、その際、放送法はあくまで理念型として考えることが適当ではないかと思う。

 日本において「政治的公平性」は”錦の御旗”であり、政治的な報道では中立・公平を重要視する傾向が強い。調査媒体が異なるので一概にはいえないが、新聞通信調査会が行った、「2015年メディアに関する全国世論調査」によると、全ての年代で「新聞は一つの政党に偏ることなく不偏不党を貫くべきだ」に過半数が肯定的な回答をしている。これは放送の分野でも同じような傾向が出ると思われる。
 しかし、マスメディアは「政治的に公平であるべき」という価値観は絶対なのだろうか?全国紙では朝日新聞はリベラル、読売新聞は保守系であることは自明だ。放送に関しても在京キー局にも多少の政治色の違いがある。欧米は日本に比べ政治色を前面に出すことが多く、例えばアメリカではワシントン・ポスト保守系ニューヨーク・タイムズはリベラルといった違いがあり、今話題の大統領選挙では候補者の応援合戦になることもある。
 「政治的公平性」を実行が難しい理由として、誰が判断をするのかという問題があげられる。監督を行う行政官庁ではそれこそ「表現の自由」を犯しかねないし、視聴者も政治思想は皆違うため客観的な判断は下せない。客観的に「政治的公平性」を判断できる人間がいないのだ。
こうした点を踏まえると、実質的には「政治的公平性」を実現することは難しく、法としても理念型として目指していくほかないのではないだろうか。
 

*1:村上聖一、2015年、「戦後日本における放送規制の展開〜規制手法の変容と放送メディアへの影響〜」、『NHK放送文化研究所年報2015年』p49〜p114

*2:理研第二回議事録、白田秀彰「情報時代の保守主義と法律家の役割」http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/03010108 、2016年2月17日閲覧