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Romeoの雑記集

Romeoと申します。主に社会とかメディアとかメディアコンテンツについて思ったことをつらつら書いています。

犯罪報道による認識ギャップの話

はじめに

 少年犯罪と聞くと、「凶悪」とか「増加傾向にある」とかそういった印象をもつ人も多いのではないかと思う。実際、2015年には川崎の少年殺害事件などの凄惨な事件が起きているし、昨日には予備校生が殺害される事件が起きている。世論はこうした事件がクローズアップされると少年犯罪に対して悲観的な展望をしてしまいがちである。しかしながら近年はリテラシーの向上(というより「マスゴミ論」的な批判の方が大きいかもしれないが)により、実は少年犯罪は減っているということが認知されつつもある。今回は青少年の犯罪を例に挙げて、犯罪報道によるイメージと現実の認識の「差」について考えてみたい。

 

少年犯罪は”減っている”

 平成27年版犯罪白書によると、少年による刑法犯の検挙人数はピーク時の昭和58年を最後に平成7年まで減少、若干の増加を経て16年から毎年減少し、26年には戦後最少となっている*1。また少子化が叫ばれるなかでは、人口比による見方も必要である。人口比の推移では平成25年以降、成人を下回っている。また犯罪別でみると殺人などの凶悪犯罪の検挙人数は減少傾向にあり、数字でみると少年犯罪は”減っている”ことが分かる。

犯罪報道のワイドショー化と培養分析

 犯罪報道がワイドショー化している問題については多くの研究者や識者が批判的に論じているが、例えば批評家の荻上チキは自著のなかで「(中略)容疑者段階から犯人扱いして、群像劇として盛り上げ、そのうえで「世の中の劣化」を憂いてみせるというパターンのものが多い」と批判的に述べている*2。また荻上はメディアの受け手側(読者や視聴者)もメディアの性質を理解したうえで付き合うことが求められるとも述べている。

 犯罪報道の中でもとりわけ少年犯罪がクローズアップされ、青少年にネガティブな印象が定着する要因として、メディア研究者の佐藤卓己は「培養分析*3」で説明できると述べている。「テレビドラマの暴力(1972)」という論文を著したジョージ・ガーブナーによると、「暴力シーンの多いテレビに接触した視聴者はテレビ世界と現実世界を混同し、現実以上に暴力に対して危機感を抱くようになる*4」佐藤はこのガーブナーの議論を引用しつつ、ワイドショー化した犯罪報道があたかも治安が悪化しているように認識されてしまうと述べている。

まとめ

 今回、このようなテーマで書いたのは表現規制やTPPの著作権条項などの問題について尽力している山田太郎議員が児童ポルノ法で逮捕した容疑者からフィギュアを押収していた件について警察庁から事情を聞いたという話があったからである*5。山田議員は「フィギュア=児童ポルノという誤解につながりかねない」点を問題視している。メディアに報道されることで「趣味」に対して過剰なレッテルが貼られてしまう可能性があるからだ。児童ポルノとフィギュアを短絡的に関連づけてしまうことはワイドショー的な「娯楽」にはなりうるが、それは問題の本質ではない。
 フィギュアの一件は警察側の認識の問題でもあるが、犯罪報道において「容疑者」とされる人物の異常性にしか目を向けない/向けられないメディアとそれにばかり興味をもつ視聴者や読者の方が異常ではないだろうか?ステレオタイプ的な尺度でしか物事をはかれないようでは、何の解決にもならない。メディア自身も襟を正す必要があるが、受け手側である僕達も考えていかねばならないと思う。

*1:法務省平成27年版犯罪白書第3編第1章第1節より2016年2月29日閲覧

*2:荻上チキ・浜井浩一、『新・犯罪論「犯罪減少社会」でこれからすべきこと』、現代人文社、2015、p24-25

*3:培養分析とは、テレビ番組を繰り返し視聴することで、社会において何が現実があるか、という共有された現実感覚が培養されるという仮説である(佐藤、p176) 

*4:佐藤卓己、『メディア社会-現代を読み解く視点』、岩波書店、2006、p176

*5:山田太郎オフィシャルwebサイト、山田太郎「第202回 フィギュアは児童ポルノ!?警察庁から直接ヒアリング!」『さんちゃんねる』http://taroyamada.jp/?p=8617、2016年2月29日閲覧