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Romeoの雑記集

Romeoと申します。主に社会とかメディアとかメディアコンテンツについて思ったことをつらつら書いています。

佐賀県武雄市、「CCC問題」に見る地方紙のあるべき姿は?

 佐賀県武雄市の前市長、樋渡啓祐氏に関するニュースが物議を醸している。
事の発端は同氏がTSUTAYA書店を展開している「CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)」の出資する「ふるさとスマホ株式会社」の社長に就任した、というニュースだ。

樋渡・前武雄市長が新会社 スマホで地方創生を|佐賀新聞LiVE

僕自身はこのニュースをTwitterでたまたま見かけて知ったが、検索してみると「新手の天下りでは?」という声が多かった印象を受けた。
確かに、僕自身も「新手の天下り」という印象をもったのは確かだ。しかし、僕は佐賀県民でも武雄市民でもない「外野の人間」であり、"善悪"の判断はつきかねる。

 

 ここで僕が「問題」として取り上げたいのは、佐賀新聞の報道内容と(おそらく佐賀県外の)ネットユーザーの反応の「ズレ」だ。
前述記事の「ふるさとスマホ株式会社」はスマホで地方創生や地方活性化などを試みるため、樋渡氏が自ら立ち上げた会社である。樋渡氏は「地方創生につながるスマホ事業を展開したい」と語っている。ややサウンドバイト気味だが、こうして見れば「地方創生のため」というのもうなずける。しかし、ネットユーザーからは批判的な反応が多かった。僕はこの「ズレ」にとても興味がわいた。

 戦後、日本新聞協会は「新聞倫理綱領」を作成した。これはいわゆる「大本営発表」にみられるように戦中、新聞社が政府のプロパガンダ機関として戦争を推進してしまった反省から作られたものだ。「公正」や「正確」などの言葉が使われている倫理綱領の内容は現代の日本社会における「ジャーナリズム観」とそう大きく離れてはいない。つまり、現代の日本社会の「ジャーナリズム観」はこうした部分から由来しているといえるのではないかと思う。ここに「ズレ」の正体があると僕は思う。

 ジャーナリズム研究者の畑中哲雄は、自著の『地域ジャーナリズム』で全国紙と地方紙の編集綱領や指針を比較しこう考察している。

「全国紙との違いは顕著である。地方紙も、全国紙とおなじく「自由」や「独立」「平和」「公正」といった価値を掲げているが、それらに加えて「地域」や「郷土」「県民」「分権」、そして地元の地名など、全国紙にはない特徴的な言葉が盛り込まれている。付け加えれば、上記七社の地方紙の基本方針には、全国紙に顕著であった「国」という文字が見当たらなかったことである。」 引用終わり
畑中哲雄、『地域ジャーナリズム』、2014、勁草書房、p101より

 これが「ズレ」の正体なのではないだろうか?佐賀県民や地方自治体の関係者から見れば、武雄市の「地方創生アドバイザー」もしている樋渡氏が社長に就任することは歓迎されることかもしれない。しかし「外野」である僕たちから見ればそれは「新手の天下り」のように見えてくる。しかし、「天下りだ!」というような報道にならないのは、前述の畑中の考えを再度引用すると、

地方紙が掲げた言葉を俯瞰すれば、国家よりも地域、国民よりも県民が重視されていることは一目瞭然である。このように地方紙のジャーナリズムは、「地域社会への貢献」に大きな特徴があり〜(以下略)」 引用終わり 同上、p101より」

と述べているように、佐賀新聞はあくまで「佐賀県民」のための報道機関だからだといえるのではないだろうか。

 従って、今回の問題というものは、「公正中立」「不偏不党」といった「一般的な」ジャーナリズム観から外れたことに起因するのではないかと思う。僕は地方紙が奉仕しているのはあくまで「地域社会」であって、「日本社会」ではないということだと思う。

 

もう一つの問題点として

 今回の一件で明らかになったことがある。Twitterで「#公設TSUTAYA問題」や

武雄市図書館にTSUTAYAの在庫が押しつけられる?- Togetterまとめ

などで検索すれば分かるが 、CCCが運営している武雄市図書館の問題が浮き彫りになっている。前述の一件から「叩いてみたらホコリが出た」ような状態だが、佐賀新聞は地方紙としての機能を果たせているか?という疑問が残る。

 現状、前述の問題についての真偽については分からないが、他にも契約や書類上の不備が指摘され、市民団体から提訴されている問題がある。

武雄市図書館の業務委託は違法 市民が提訴|佐賀新聞LiVE

全国初の民間運営の公設図書館として、図書館を中心に地域の活性化も遂げていきたいという目的もあるだろうが、幾つもの問題がある点をうやむやにしてしまってはいけない。この問題をとことん追及できるのは佐賀新聞だけである。僕が確認した8月12日現在、形式的な報道に留まっており、本格的な調査報道などは展開されていない。これでは地方紙の責務を果たせているとは思えない。

 ここが地方紙の特徴であり、「弱点」といえると思う。地方紙は「地方」に立脚するがゆえに地域社会の「しがらみ」にとらわれやすいのかもしれない。しかし、地方紙は「地方」社会にとって重要な、そして信頼された情報インフラである。
佐賀新聞が今すべきことは武雄市民の人たちのために、この問題を徹底的に究明することであると思う。